人の道の歩きかた

「人の道」とは、俗にいう人の道ではありません。道徳でもなく宗教でもない、宗教以前の古伝に記された教えをさします。その道は神に通じ魂が帰る場所〈眞洞〉に続きます。言い換えれば善によざし人として歩くべき正しい道というものです。先代旧事本紀大成経の研究家・宗教家の安房宮源宗が、日本古来の素晴らしい思想を解読し現代に活かすためにわかりやすく伝えます。今では失われてしまった古神道の真の意味、人として生きるための智慧と作法、自分だけでなく周囲も幸福にする生き方を学び次世代へとつなげていただきたいと願っています。より良い生きかたを求める人、学びたい人のために思想、信仰の有無に関係なく門戸を開いています。

IMG_1346 アイキャッチ用

知る

人の道のキーワード「五常五行」を始めとし、一般的に使われる天・地・人の本当の意味、そして心と感情の違いなど、知っていたはずの言葉を古伝に学び直します。知るの第一段階の《知る》です。

もっと詳しく

画像の説明

考え、感じる

知るの第二段階《智る》へ。脳で思うことと心で感じることの違いがわかるようになることで思考を深めます。感情にふりまわされず静かに考える力をつけるために、瞑想を修得します。瞑想はリフレッシュのためではなく自分との対峙、そして自我から離れることを目指します。
もっと詳しく

IMG_6118  木の実

行動する

知るの第三段階《覚る》です。より深く自在に瞑想を行えるようになることをめざします。神とは何かを心身で理解できるようになるために感性を磨き知を深めます。頭の中だけではなく日々の生活の中で実践することで確かに実感することができます。
もっと詳しく

人は神を宿し、同時に邪悪さも持っているのはなぜか?

 理は善悪のどちらにもはたらくからです。理(宗)の世界でいう善悪はただ在るのみで、人間世界でいう善悪は人が為すことで生じます。(前者はハタラキであり後者は事、事実)人は善悪を選ぶことができます。
 人間にある邪悪の邪とは生物としての本能が元の働きです。これは物質としてあるべき働きであり動きです。脳で考えて動いていると生存本能を常に優先させます。だからそれだけであれば利己的な行動になるのです。利己的になり、感情的になり、結果として邪悪な方へもいきます。そこに善悪の判断はなく、まっすぐに利己的な方へと突き進みます。脳の潜在的な働きには善悪の観念はないからです。これは幼児をみればわかります。


 ヒトの脳の仕組みは複雑かつ膨大で、全体の数%しか解明されていません。これが肉体を守るために働いているのですが、人と他の動物との違いは天神のハタラキである五心から降った魂を宿して誕生することです。
 魂のハタラキは、脳に善悪の観念を理解させ、人に心を自覚させます。
 心が伴うか伴っていないか。心があるかないか。これはよく言われることですけれどもあるなしを都合やみかけで判断していることがほとんどです。感情に左右されているのを心だと思っていることもあります。心をココロやこころと雰囲気や表現方法として書き分けて便利に使っている今日ですが、心とは五常をさします。(…続く。眞洞124号 心とはなにか より引用)


自分自身を本当に知っているか

 「宗教」と聞くだけで顔をそむけたり、苦笑いをしたり、蔑んだり、あまりいい反応をしない日本人が増えました。日本だけのことではありません。世界中、宗教離れはますます進んでいます。そして同時に宗教の名の元の争いは止むことがありません。そして、大多数の人々が生きる道に迷いながら、どこに答えを求めればいいのかわからない…というのが現状です。これは宗教そのものの責任であり、人間の作ってきた社会のせい、つまり自らに原因があるわけです。宗教は救いになるか? ならないと答えるのは簡単です。しかしその前に、宗教と漢語で書かれたモノの、本来の姿はどうであったかということから考えてみる必要があります。限りなく原点に近い姿をここでテキストとして用いる古伝から読み取ることができます。
 残念ながら世間には神とは何かに答えてくれる神主、仏とは何かをちゃんと教えてくれる僧侶はほとんど数えるほどしかいません。ありがたいことに、この古伝にはその答があります。まず、自己を知り、次は天・地・人の連なりについて、求めれば学ぶことができます。学びは、自ら求めなくては得ることはできません。


 神仏は拝むものと簡単に思っている人たちは、困ったときの神頼み、ご利益信仰をあたりまえのようにしています。そのくせ結果が出ても出なくても、過ぎてしまえば拝んだことも忘れてしまいます。そしてまた困れば拝み頼むのです。頼む前は不安、頼んだ後は自己満足で、これは依存と思い込みに過ぎません。メディアや口コミなどの評判を聞いて占い師や霊能者を訪ねる、雑誌の占いの欄をつい読んでしまう、遊びや気休めのつもりが実はふりまわされてしまっている…依存ではなく、正しく知り、考える習慣をつけることが大事です。そして、自己を観れるようになることで他も観えてきます。